2012/03/13 21:58:49
スタート地点の離宮院公園です。
目の前の線路はJR参宮線で、すぐそばに宮川駅があります。
2012/03/13 22:00:59
官舎神社(かんしゃじんじゃ)の御祭神は建御雷之男神・経津主神・天兒屋根命です。
官舎神社の名は『延喜神名式』に見えるだけであり、離宮院内に祀られていた「中臣氏租神」が官舎神社のこととされています。
延喜式内「官舎神社」は、離宮院内の大神宮司御厨に隣接していた社で、その祀る神は大宮司の「中臣氏祖神」であり、歴代の大宮司によって祀られていましたが、離宮院の退転とともに衰退し、中世末から近世にかけては社殿もないままに「離宮」の神として祀られていました。その後廃社となり、明治12年9月24日、「官社神社」として再興され、村社に列せられました。
平地の広大な神社です。境内は全て「離宮院跡」として国の史跡に指定されており、平安時代以降、伊勢大神宮の御厨(庁院)・斎内親王の離宮・勅使などの駅使院等があった場所です。
2012/03/13 22:02:11
雷電神社(らいでんじんじゃ)は明治43年に小俣神社と共に官舎神社に合祀になりました。経緯は不明ですが別の神体を合祀し本物は境内に埋納したといわれています。神社が合祀された後も雷電神社の氏子は山の神と八王子社を祀り、御頭神事を、元の神社の財産で継続していました。昭和28年頃、営時の宮司がもと八王子社の社地を雷電神社として社殿を復興しました。
街中の小社です。江戸時代、掛橋地内は紀州藩と鳥羽藩に分かれており、紀州藩領の神社として春日社があり「表の宮」と称していました。一方、鳥羽藩領には雷電神社があり「裏の良」また「八王子」とも称していました。
2012/03/13 22:05:08
2012/03/13 22:04:24
城田神社(きだじんじゃ)の創建は1677年(延宝5)ですが、1909年(明治42)に近隣の14社を合祀して現在の姿になりました。氏子の地域は旧城田村である上地町、川端町、中須町です。
獅子舞が有名で、氏子が伝統を守り嵐でも舞い続けてきたそうです。地区が7組に分けられ順番に舞います。
2012/03/13 22:06:36
各地にある八柱神社(やはしらじんじゃ)と同様、産土神として地元民によって祀られています。御祭神は天忍穂耳命などです。
りっぱな楠の木がそびえています。
2012/03/13 22:08:13
八柱神社(やはしらじんじゃ)は各地にあるのと同様、産土神として地元民によって祀られています。
小俣神社(おばたじんじゃ)は125社のひとつで、外宮の摂社です。御祭神は宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)で、地元では「いなべの社」や「稲女さん」と呼び親しまれる田野の五穀豊穣の守り神と伝えられています。
八柱神社と小俣神社はまさに隣り合わせにあります。